昭和54年10月17日 朝の御理解 御理解紹介で御理解57年と間違っている



 御理解 第36節
 「日本国中のあらゆる神を、みな信心すると言うが、それは余りの信心じゃ。人に物を頼むにも、一人に任すと、その人が力を入れて世話をしてくれるが、多くの人に頼めば、相談に暮れて物事はかどらず。大工を雇うても、棟梁が無ければならぬ。草木でも心というたら一つじゃ。神信心もこの一心を出すと、すぐおかげが受けられる。」

 今日は私の小学校ん時の同窓会が開かれます。ちょうど大祭を終えた翌日今日ですから、もう出席する様に通知をしておりますから、今日は正午から草野に参る訳ですけども、何かこういわゆるやよいの仲ですからね。小学校の時の何かこうチグハグな感じですね。そのう何かひとっつもこう何か楽しいない、というか何かこう子供の話を聞いとるような感じがしたりしてね。
 それで昨夜明日行かんならんが、というて心の底にやっぱりあの昔の、いわゆる幼友達と合えるというのですから楽しさというのがないのじゃない。まぁある訳です。けれどもあまりにも言うならば、この信心のある者とない者の違いというのが、親のある子とない子ほどの違いであるように、言うならば親を持っておる者、親の無い者の違いがあるほどの違いを感ずるからね。何かこうぴったりいかん感じがするんです。
 したら神様からちょうど、ま神様ごしらえとでも申しましょうか、こうお装束をつけてしゃくを持った人が、この位の台の所からぴょんと下へ飛び降りる所を頂いたんです。まぁ言うなら神様の座から人間の座へ、こう飛び降りよと言う事だとこう思ったんです。私が神様になってると言う事じゃないけれども、神様を目指しておる事だけは間違いないです。それは普通でいう神様とは違うです。
 教祖生神金光大神様が言われる生神なんです。教祖金光大神様が教えて下さる生神への道を私共は、ひたすら日々精進させて頂いておるわけです。ですから生神を目指しておると言う事だけはこれは事実ですからね。成る程信心の無い世界に行ったら、やはり信心のない人達とお付き合いする為には、そこへ自分が降りて行かねばならないね。まぁそういう様な事を頂いて、今日の御理解を頂いたんですけれども。お互いの一心を出すとすぐにおかげが受けられるという一心をですね。
 とにかくおかげ目当てではいけない。信心を頂かにゃ信心を目当てにとこう申します。けどもやっぱりおかげがやっぱり頂きたい。目の前にぶら下がっておるのがやはりおかげおかげで、おかげに言うならば誘われるようにして、信心を続けておるというだけの人が実は多いとこう思うんです。そしておかげを受けたとか受けなかったとかと言うて、まぁうならば一喜一憂している訳なんです。そこで信心を目指すと言う事になると、それがやや変わってくる。
 昨日の御理解じゃないですけれども。どんな場合であっても言うなら、試されておると言った様な考え方が出来るようになりますからね。そこで私は思うんですが、この一心を立てればすぐにおかげが頂けるという一心をね。生神を目指すと言う事に一心になったらいいです。これはねすぐにおかげが受けられるというので、形の上のおかげじゃないです。生神を目指すところの、言うならこの全てが手立てであると言う事です。もう既に自分の心の中にすぐにこの場でおかげが頂かれるですね。
 言うなら生神を目指して一生懸命こうして信心の稽古をさして頂いておる。目指すところは生神だ。この世でいけんならあの世までも、これを続けていく事でしょう私共は。また皆さんもそうでなからなけりゃいけない。もう死んでからまでもあの世に、そのうそれこそ何にも持って行くものはなかってもです。我情我欲いっぱいで行ったんでは、こんなつまらん事はありません。この世である我情我欲は、あの世までも持って行くと言う様な事があっちゃならん。
 あの世までも持って行くのは、私共がもう限りなく、私の魂がもう清まりに清まり、事に精進させて頂いてね、いわゆる生神を目指すと言う事、ですから霊の世界に入ってもこの魂はいよいよね、高度の魂としていく精進を、霊ながらする事でしょう。そこにはねすぐにかげが受けられるという事実が、お互い感じられると思うです。例えばなら問題が、いやな問題というかね、ま不幸な普通で言う不幸なら不幸な、目に合うと言う様な場合であってもです。
 私共が生神を目指しておると、あぁこれが生神への手立てだなと、すぐに悟りが開けてくるんです生神を目指しておくと。素晴らしいです。皆さんも今日を境にね、生神を目指しなさらにゃいかんです。もう教祖の神様の願いはこれなんです。氏子信心しておかげを受けてくれと仰るのは、生神を目指してくれという事です。私はここにすぐにおかげが受けられるという事は、生神を目指しておるならばです。ことごとに全てがです生神を目指す手立てだなと頂けるんですね。
 だから一つ本気で、金光教の信者だから本当をいうと生神という言葉は、実際に当たらない感じがするですね。教祖の神様も言いようがないから、神と仰っておられるのでしょうけれども。けども本当言うたら普通私共の、観念の中にある神様という神とは違うんです。天地の神様というても神とは違うんです。教祖が仰るのは私共が本気で生神様を目指さしてもらう。そこにあるもの起きて来る事全てを、生神への手立てだと頂ける時に、心の例えばモヤモヤも心の曇りもま、腹立たしい事もイライラする事も。
 それがあぁこれが生神への手立てだなとね。頂けた時に心はもうその場ですぐにおかげが受けられるね。だから一心を立てるとまいろいろありますけれども、今日は皆さん生神を目指すというところに一心を置かれたら、問題が問題でなくなって来るです。そして今度はそれがどう言う事になるかというと、心が豊かになる大きくなる。豊かになれば大きくなればおかげもまた豊かになって来る、大きくなってくるから信心がいよいよ楽しいものになって来るんですよね。
   どうぞ。